究極の無の境地。無になること。
このような言葉を私は昔、間違って受け入れていました。
嫌な仕事や頼まれごとなどを継続的にしなければならなかった。
本当は嫌で辞めたいけど、
そのとき「そうか、心があるからこんなことを考えてしまうのか。心を消そう。」と思い、
それこそが「無」なのだと間違った認識をずっとしていました。
私は私を消していました。
それが昔からある日本人の美しい忍耐のように当てはめて。
でも全く自由ではなかった。
25年以上経ってそれが間違いだったということを知りました。
自分を消すのではなくて、
自分と周りを一瞬切り離すことだったのです。
そうすることによって、
日本人特有の
「それ、本当の自分じゃない」と思えました。
きっかけがなくて気付けない人生を送る方もいらっしゃると思います。
でも、それは探そうと思う時には探せません。
切り離せそうかも!と思えたら
向こうからあなたに知らせてくれます☺️